「保守のセと改革のパ」外的要因からみたリーグ格差の図式
それから現在に至るまでの45年間で、パは各球団にもいろいろな変化が起こった。阪急はオリックスになり、本拠地球場も西宮から神戸、さらに大阪へと移転。大阪の南海は福岡のダイエーを経てソフトバンクになり、福岡の太平洋クラブはクラウンライターを経て埼玉の西武になった。日本ハムとロッテはそれぞれ北海道と千葉に本拠地球場を移転して成功し、近鉄はなくなり、東北の仙台に楽天が誕生した。
この45年間、パでは球団の身売り・消滅・新設、本拠地球場の移転・新設といった、いわばハード面の変化がいや応なく次々と巻き起こったものだから、各球団はそのたびに新しい経営方針とそれに伴う施策を実行していったのだろう。「改革のパ」は内的判断だけで生まれたのではなく、外的要因による必然の進化だったとも考えられる。
一方のセでは、この45年間で経営母体が抜本的に変わったのはDeNAだけである。あとの5球団は45年前からずっと存続しており、特にヤクルトと阪神は本拠地球場まで変わっていない。神宮も甲子園もそれぞれ学生野球の聖地で、つまり伝統を背負っている。これは良い面でもあるわけだが、そのせいで内的判断でしか改革を断行できないという厄介な面もある。伝統を守るか改革を進めるか、そういうデリケートな判断が内側にゆだねられているのだ。
身売りしたら、放っておいても球団運営が大きく変わる。チームも変わる、野球も変わる。だけど、それが一番むずかしいから、「保守のセ」には光が見えないのだ。