<10>ロス五輪の競技直前、中村監督は瀬古利彦を迎えに帰国すると言い出した
80年モスクワ五輪は政治的な理由から日本はボイコットした。代表だった瀬古は後に「78年から82年あたりがピークだった」と語っていた。金メダルの可能性が高かっただけに、本人は悔しかったに違いない。
私は当時、国内の長距離界を牽引するエスビー食品の「中村軍団」にベッタリだった。マネジャーのような仕事も任され、北海道合宿やニュージーランドなど、世界各国の遠征などにも同行。航空券や宿舎の手配もすべてやっていた。
■到着した表情を見た瞬間…
84年ロス五輪のときだ。中村さんは「日本選手団とは違うホテルに泊まる」というので、ロス市庁舎の近くにあるホテルをとった。男子マラソンが始まる直前、中村さんは突然「帰国する」と言い出した。ロスの暑さに慣れるため、日本で調整させていた瀬古を迎えに行くというのだが、当初は予定になかったことだ。数日後、中村さんとロスに到着した瀬古の顔色はとても悪い。後で知るのだが、猛暑の中で走り込みをして熱中症でダウンしていたらしい。
「あの顔では優勝どころか、途中棄権もあるかもしれない……」