「肘なんてついて食べるなよ!」僕の右肘を内側からパチンと払うと真顔で言った
これも食事の席の話になるが、レストランに入ると必ず、ウエーターに食材を確認していた。新庄さんはエビやカニが苦手で、アメリカ時代は、甲殻類が使われた料理は極力、避けていた。シーフード料理の多い地元サンフランシスコや、マイアミのレストランでは「食べ残すのは、作ってくれた人に悪いから」と、苦手なものを注文時に店員に伝えていた。
グラウンドでも周囲への気配りを忘れず、監督、コーチや同僚選手はもちろん、クラブハウススタッフなどの裏方……自分に関わるすべての人への配慮を欠かさなかった。
僕が通訳に採用された時にはこんなことがあった。
01年のクリスマス。場所は都内のホテルだった。そこで新庄さんの面接を受けた時、最初の質問は「ところでキミは何歳なの?」だった。
僕は学年で2歳下であることを伝えると、「OK、OK、年下ね」と、うなずいた。新庄さんは非常に礼儀を大切にする人で、おかしいと思ったことは看過できない。そのため、年上の通訳では自分が気を使ってしまうだろうから、年下の通訳を探していたそうだ。