野茂英雄が持っていた意志の強さ KOされて違う球種を勧めたら「嫌です」ときっぱり
「これ、あり得ないですよ、こんなこと書かれて……」
あるとき、野茂英雄が週刊誌を見ながら口をとがらせていた。とにかく豪快な男で、食べ物ひとつとってもこれだけ食べるといった内容だった。
私はしかし、「でも、そこに書かれていることは、ほぼ事実だろ」と言った。
実際、野茂は、食べる量がケタ違いだった。例えば九州遠征。博多には近鉄の選手たちが足を運ぶ餃子屋があった。小さめの餃子だが、野茂はそこで100個くらい平らげて、酒も飲んで、その後、今度はお好み焼きを食べたこともある。
書かれたことはほとんど事実ながら、本人は化け物みたいな書かれ方をしたことが気に入らないようだった。
トレーニングも熱心にやった。
当時は時代の移り変わりというか、プロ野球界にも本格的なウエートトレーニングが導入されつつあった。けれども近鉄はまだ、そういったものに積極的にアプローチする体制ではなかった。とにかくグラウンドで走れ、投げ込めといったあんばい。そこへ優勝した1989年にコンディショニングコーチとして立花龍司が入団。オフに近鉄に入った野茂は立花のもとで、積極的にウエートトレーニングに取り組んでいた。