阪神1位・森下翔太を英才教育 父親が明かす「マイホーム購入の判断も野球ありきでした」
■念願かなって芽生えた主体性
当時、善文さんは焦りを募らせていた。
運動能力、特に神経系は5歳から10歳ごろまでに著しく発達し、おおよそ12歳にほぼ完成する。一般的にこの期間を「ゴールデンエイジ」と言うが、善文さんがこれを知った時、すでに森下は6歳になっていたからだ。
「それからはほとんど毎日、仕事を定時に上がると、息子を誘って野球をしていました。無理にやらせても仕方がないので、モチベーションの維持に工夫をしました。たとえば、素振りを400回したら、ゲームセンターで1プレーさせてやったり。土日のチーム練習を途中で切り上げることもありましたが、一日通してやり切れば200円、みたいなことも。その甲斐あってか、小学3年ごろには目標を“プロで活躍する選手”と言うようになり、平日でも自分から練習に誘ってくれるようになったんです。室内の練習でピンポン球を使い始めたのも、この頃ですかね」
中学時代は戸塚シニアに所属し、数ある高校のオファーから、あえて特待の条件が付いていなかった東海大相模高を選んだ。激しい競争の中に身を置くことがプラスになると、親子の意見が一致した上での選択だった。入学直後の1年春から頭角を現し、3年春のセンバツで甲子園出場、チームの4強入りに貢献した。