オリックス茶野篤政は公務員を目指した「フツーの子」…周囲を仰天させた闘争心
■複雑骨折も片手で練習
勤勉な茶野だが、実は気持ちの強さを内に秘め、時として周囲を驚かせた。中学3年生の春のことだ。集大成である夏の大会に向けてこれからという時に、スランプに陥った。ヒットが出ずに焦る中、迎えた練習試合の打席でバットに当たったボールはボテボテのゴロ。なんとしてもセーフになろうとヘッドスライディングで飛び込んだ。
母の博子さんが振り返る。
「その時、一塁ベースに腕を引っ掛けてしまい、左腕を複雑骨折してしまったんです。全身麻酔をするほどの大手術でしたが、その次の練習には出かけて行きました。何としても夏の大会に出場するため、片手で練習を続けていました」
医師が「元には戻らないかもしれない」と言うほどだったが、大会に出場。持ち前の闘志が大ケガをもたらし、大ケガを克服させたのもまたその闘志だった。
PL学園の黄金時代をつくった名将、名古屋商大元監督の中村順司氏(76)がこう話す。