島本浩也を岡田監督も「サマサマ」と絶賛! ブルペン支える“小さな大エース”は苦労人
中学時代に所属していた橿原コンドルボーイズではエースを務めた。同チームの古谷武士監督(42=当時ヘッドコーチ)はこう言う。
「野球のセンスがずばぬけていただけでなく、本当にキレイな投げ方をしていた。ダイナミックなフォームからキレとノビのあるボールで、自分より体が大きい打者を打ち取る姿は圧巻でした。まさに“小さな大エース”でした」
福知山成美高校(京都)の井本自宣監督(49=当時部長)が印象に残っているのは、2年秋の近畿大会1回戦・PL学園(大阪)戦だ。島本は格上チーム相手に10三振を奪い、1失点で完投勝ちを収めた。
「強い相手にも決して物おじしませんでした。島本は相手に関係なく、自分の投球ができる投手でした」(井本監督)
最後の3年夏は部員の不祥事で対外試合禁止処分に。甲子園への道が閉ざされ、「野球を見るのも嫌だ」と言うほど落ち込んだが、内角に投げ切れる制球力と、勝負度胸がある左腕をプロは放ってはおかなかった。夏のある日、巨人のスカウトが学校を訪れ、練習を視察した。島本は前日に発熱してしまい、十分にアピールできなかったが、その後、阪神のスカウトも視察にやってきた。