箱根駅伝を無理に「世界」や「マラソン」と結びつけて感動を煽るヤボはいらない。駅伝は駅伝なのだ
マラソンの“お家芸”の第一歩は、田中茂樹の51年のボストン優勝だった。参加者はいまの200分の1の191人で、世界的に知られた大会でもなかったが、この快挙でオリンピック=世界=ボストン=マラソンの図式ができ、戦後日本は沸き立った。そこに駅伝をフラフラッと重ねただけの話である。
この暮れ、何人かの長距離レジェンドに会った。厚底シューズや過剰なテレビのあおりは低年齢層に及び、一様に「マラソンは変わった」と口をそろえた。宗茂さんの話が印象的で、3年前のびわ湖毎日で鈴木健吾が2時間4分56秒の日本記録で優勝した。それだけでなく、最後の伝統大会で40人の日本選手が2時間10分を切った。
「そんな大会は日本以外、世界中のどこにもありません」
世界ランキングにサブテン数などない、メダルもない。しかし、この記録こそ駅伝効果だと宗さんは話した。箱根を無理に世界と結び付けて感動をあおるやぼはいらない。駅伝は駅伝なのだ。青山学院の連覇! などと喧々囂々、ワクワク楽しみ、その先は選手それぞれ。加えて、駅伝で育ったレジェンドたちは元気で長生きだ。適度なランニングが健康にいいと、日本人は知っているのかも知れない。