「球道恋々」木内昇著
明治時代の日本野球を描いた長編小説である。主人公は2人いて、1人は一高OBの宮本銀平。日本文具新聞に勤めている男だが、母校野球部のコーチを頼まれるところから本書の幕が開く。明治の中ごろは一高が学生野球をリードしていたが、明治末ごろになると早稲田などの新興勢力に押されて旗色が悪くなっていく。つまりここで描かれるのは一高の苦難時代なのである。
この銀平以外はすべて実在した人が登場する小説だが、もう一人の主人公が押川春浪。明治の冒険小説作家だ。スポーツを楽しむ私的団体「天狗倶楽部」を結成したことでも知られているが、この男の魅力が本書には満載である。たとえば、春浪が羽田に開設した運動場で野球の試合をしたとき、「俺は何のために早起きして羽田くんだりまで行ったんだ」と代打で一度登場しただけの岩野泡鳴が嘆く場面がある。そのときに春浪は「ろくに球を放れない奴を出せるか」と言うのだが、その春浪も平凡なゴロをトンネルしたり、せっかく捕ったと思ったら、今度は暴投とくるからおかしい。
朝日新聞の野球害毒キャンペーンと闘う春浪を描く本書の後半も読みごたえたっぷりだ。この騒動のために春浪は博文館を退社することになるのだが、いま読むとそれが惜しまれる。もっと自由に、のびのびと生きてほしかった。はるか遠い昔の話だが、とてもリアルな野球小説といっていい。(新潮社 2100円+税)