文庫で読む名作傑作 読めば旅したくなる“方言小説”の世界
岩手弁を用いた小説「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子著 河出書房新社)が第158回芥川賞を受賞し、にわかに方言小説が注目を集めている。お笑い芸人たちが話す大阪や博多弁にすっかり耳慣れているが、“読む方言”の魅力はどこにあるのか。
「やはり標準語とは異なる音や独特のリズム、そして言葉遣いの面白さですね。平昌五輪に出場したカーリング女子チームの『そだねー』が評判になったように、そんな言い回しをするのかという発見もあり、そこから文化や習慣も透けて見える。そもそも方言は土着の言葉であり、作家が創作できない部分。つまり、サンプリングした“言葉”ですから、セリフがそれだと臨場感があるんです」
方言小説は昔から一定数あったが、文字で読むには違和感があると思われていた時代があった。
「それが変わったのは、近年のミステリー小説ばやりがあります。字面で見てわからなくても前後の文脈から推測できる。そこが謎解きに似ているので、構えがないんですね」
方言小説はネット時代の今にマッチする面も持ち合わせているという。
「短い文の中で印象に残る、強い言葉が増えています。俳句やラップがはやっているのもその影響。方言が持つ不思議な響きや余韻が、人々を引きつけるのだと思います」
【北海道】「探偵はバーにいる」東直己著/早川書房 760円+税
「忙しかい?」「ぜーんぜんだ、お前、この天気だも。見てみれ、これだもお前。客なんかお前、どっこにいるってよ」
札幌・ススキノで便利屋をしている「俺」は、顔なじみの客引きといつもの軽口を交わして、バー「ケラー・オオハタ」への階段を下りる。カウンターに座ると、俺が中退した大学の後輩だと名乗る男が、知恵を借りたいと話しかけてきた。聞くと、4日前から連絡がつかない同棲中の恋人、麗子の行方を捜して欲しいという。渋々、手伝うことにした俺は、麗子の部屋から出てきた通帳から彼女が売春をしていたのではと疑う。さらに麗子は、6日前にススキノのラブホテルで起きた殺人事件にも関わっている可能性も出てきた。
映画化もされた人気新感覚ハードボイルドシリーズ第1弾。
【津軽】「いとみち」越谷オサム著/新潮社 630円+税
いとは大きく息を吸ってから、鏡に向かって腰を折り曲げる。
「お、お、お……、おがえりなさいませ、ごスずん様」
高校1年のいとが、極度の人見知りを克服しようと選んだのは求人サイトで見つけた青森市のメイドカフェだった。初日、地元から列車で1時間をかけて出てきたいとだが、店が入った雑居ビルの前で今更ながらアルバイトの選択を間違えてしまったことに気付く。しかし、先輩メイドの幸子に見つかり、引き返すこともできない。
でも、メイド服に着替えてみると、まんざらでもない。思わず鏡の前で、メイドの決めゼリフを口にしてみるが、やはり出てきたのは生粋の津軽弁だった。先輩メイドにフォローされ、何とか続けるいとだが、メイドカフェが閉店の危機に。
濃厚な津軽弁が行き交う人気青春小説シリーズ。
【新潟】「蔵(上・下)」宮尾登美子著/中央公論新社 各680円+税
「どの家を見渡して、子供の二人や三人、なくしてね親はねえんらわね。ここは雪国らすけ、弱え子は育たねという神さまのおぼしめしかも知んね」
新潟県・亀田郷の地主・田乃内家の姑のむらは、流産や死産、夭折などで8人の子を失ってきた嫁の賀穂を、責めることなく、こう慰めた。嫁入りから15年後、大正8年の吹雪の夜、賀穂が9人目を出産。主の意造は、少々の難儀にも負けぬよう、その女の子に烈と名付ける。烈は賀穂の心配をよそにすくすくと育つが、小学校入学目前の6歳の時、意造が娘の目の異変に気付く。町医者の診断に納得できない意造は、娘を連れて上京し、帝大病院で診察を受けるが、治療法がない夜盲症で、数年後には失明すると宣告される。
雪国の酒蔵一家を舞台に描かれる長編大河小説。
【名古屋】「やっとかめ探偵団」清水義範著/光文社 600円+税
「波川さんこんにちは」「あれ、島田さんでねゃあの。やっとかめだなあ、どうしてりゃーした」
名古屋市中川区で74歳の波川まつ尾が営むお菓子屋「ことぶき屋」は、近所のお婆さんたちが出入りする情報交換の場となっていた。「やっとかめ」とは名古屋弁で久しぶりの意。ある日、事情通のかねよが、近所で息子夫婦と暮らす半寝たきりの老人・堀井が死んだと店に駆け込んできた。包丁が胸に刺さっていたらしい。その後もまつ尾の疑問に答えるようにかねよが集めてきた情報によると、現場の離れは、家族の目に触れずに出入りができ、遺体の上にはサンゴのブローチが置かれていたという。告別式直後、堀井の嫁・紀子が失踪してしまう。
老婆たちの名古屋弁に口元が緩むユーモアミステリー。
【大坂】「通天閣」西加奈子著/筑摩書房 580円+税
「もともとこれ、漕ぎにくいんで、空気のせいちゃうやろ思てました」
「どこで買うてん、えらい自転車やな」
40代半ばの中年男の俺が暮らすのは、通天閣がすぐ近くに見えるアパート。工場での単純作業の仕事が終われば、いつもの中華店で塩焼きそばを食べるのが日課だ。隣近所はむろん、誰とも深い関わりを持たないことをモットーに暮らしてきた俺だが、工場に入ってきた23歳の新入りとはなぜか話をするようになる。
ある日、新入りの自転車で帰宅中に、通天閣の鉄塔に登り、飛び降り自殺しようとする男と遭遇する。その男は隣人で、俺に色目を使っていたオカマだった。
同じ通天閣近くに住むスナック勤めの20代女性と“俺”の2人の視点から、交互にそれぞれの単調な生活や人情の機微を描いた長編小説。第24回織田作之助賞受賞作。
【岡山】「でーれーガールズ」原田マハ著/祥伝社 580円+税
「なんがでーれーの?」「武美ちゃん、でーれー若いし、でーれーきれいだし、でーれー達筆だし」
著者が「楽園のカンヴァス」で山本周五郎賞を受賞する前年に刊行された感動の青春小説だ。
岡山市内の自身の母校をモデルにした私立女子高校が舞台で、「でーれー」は「ものすごい」という意味の方言だ。主人公の佐々岡鮎子は売れっ子の漫画家で、卒業27年後の春、現職の国語教師から、鮎子のデビュー作「でーれーガールズ」が自分の人生最良の作品だとの追伸を添えて、母校の創立120周年記念での講演の依頼がきた。
岡山は父親の転勤で高校3年間だけを過ごした街だが、そこには同級生との忘れがたい特別の思い出があったのだ。
【佐賀】「悪人(上・下)」吉田修一著/朝日新聞出版 各540円+税
「佳乃ちゃん? 戻っとらんと?」
眞子が相変わらずのんびりとした口調で訊いてくる。
「携帯には連絡なかったけど」
土木作業員の清水祐一は車だけが趣味で、出会い系サイトで知り合った女性とのセックスで気晴らしをするという日々を過ごしていた。そして、九州地方に珍しく雪が降ったある夜、サイトで出会った佳乃とドライブに出かけた三瀬峠で、衝動的に彼女を殺害してしまう。冒頭の会話は、被害者の職場の友人が佳乃の安否を気遣って交わした会話だ。
ひとりの孤独な青年を<悪人>へと堕としていったものは何かを問う傑作長編小説。大佛次郎賞受賞。2010年に妻夫木聡主演で映画化され、話題になった。
【熊本】「苦海浄土 わが水俣病」石牟礼道子著/講談社 690円+税
「おとろしか。おもいだそうごたなか。人間じゃなかごたる死に方したばい、さつきは」
父亡き後、一家の大黒柱として漁に出ていた娘のさつき(44号患者)の死を母親はこう語った。
本書は、工場排水の水銀が引き起こした公害病「熊本水俣病」の患者とその家族の苦しみに寄り添った記録文学の名作。
不知火海に臨む湯堂部落。1963年、著者はさつきの弟・九平少年を訪ねる。胎内で有機水銀に侵された胎児性水俣病の少年は、目が見えず、下半身も定まらぬ体で小石をボール代わりに手製のバットを無心に振り回していた。彼は、検診のためのバスが迎えにきてもラジオの前から動こうとしない。野球中継が終わるまで待っていた職員が再び声をかけるが、「いやばい、殺さるるもね」とやはり動かない。
「風車祭(カジマヤー)上・下」池上永一著/KADOKAWA 各590円+税
「これはマジムン(魔物)の仕業だよ。こんなことは初めてだよ」「ユクシー(嘘)だろう、オバア。シカバサンケー(驚かすなよ)」
数え97歳のマリドゥシヌユイ(生年祝い)であるカジマヤーを迎えるフジは、石垣島屈指の長寿者。共に出戻りの娘・トミと孫のハツと暮らすフジは、ハツと組んでトミをこき使っていた。旧暦の8月、フジが暮らす地区ではいまだにあの世の正月を祝うシチ(節)祭が盛大に行われていた。信仰心があついトミは、彼女を慕う高校生の武志を誘ってシチの行事を行う。トミが祝詞をあげると、えたいの知れない気配が近づき、武志の頭の中でささやき始めた。
228年前から生きている盲目のピシャーマと恋に落ちた武志の一年を、沖縄の風習や歌謡を織り交ぜながら描いた力作。