「とくし丸のキセキ」住友達也著/西日本出版社
「足元を掘れ! そこに泉が湧く」とゲーテは言った。徳島でタウン誌「あわわ」を成功させた著者は、足元の生活を見つめ直して、新しい“泉”を湧出させた。
求められて私は次のような推薦文を寄せたが、「奇跡」というコトバに誇張はない。
「クロネコヤマトの宅急便のように、住友達也はお客が求めているものを“発見”した。需要をつくりだしたのである。自由人の彼は『買い物難民』という不自由が我慢ならず、それに挑戦して奇跡を起こした」
買い物難民は、生鮮食品が買える場所が500メートル圏内になくて自動車に乗れない人を指し、現在、全国に910万人いるといわれる。徳島では7万5000人。
発生の原因は、スーパーの大型化、郊外化によって、地元のスーパーが撤退していったこと。公共交通機関が弱体化したことなどが挙げられる。
生協が相当サポートしているが、注文してから届くのが1週間後で、ほとんどが冷凍食品であるため、たとえば、刺し身が食べたいといった要望に応えることができない。それで著者は「おばあちゃんのコンシェルジュ」をめざすことにした。過疎地に住む高齢者の99%が女性で、彼女たちの声に、徹底的に耳を傾けることによって事業を展開させようと考えたのである。
「週2回訪問する。3日に1回買って下さい。つまり3日に1回、赤の他人が玄関先まで来てウェルカムなものは食品以外考えられません。他の商品やサービスでは嫌がられるでしょうが、僕らは来てもらわないと困ると言われる存在になります」
著者はこう語っていたが、それを続けると頼られる存在になり、電球を替えてほしいとか、郵便物を出してほしいとか頼まれる。路地の裏の裏まで入って行けるよう軽トラックを利用し、冷蔵庫も積んで、300品目から400品目、点数にすると、1000点から1500点の食品を載せている。
始めるに当たって著者は3つの目的を掲げた。買い物難民の支援と地域スーパーとの提携。そして販売員はすべて個人事業主とする、である。販売パートナーと呼ばれる個人事業主に地域のスーパーは商品を提供するが、これは販売代行なので、仕入れ代はゼロ。
「命を守る、食を守る、職を創る」のとくし丸は、いま、東京の四谷など都会の“過疎地”も走っている。
★★半(選者・佐高信)