私は文江を二度殺した
噛み切った舌が喉に詰まって窒息しているのだ。まるで生きながら手足を切断されているかのようなもがき方だ。
妹は――苦しみ抜いてシベリアで死んだ。
‡ 7 ‡
語り終えたとき、法廷は静まり返っていた。
曽我は天井を仰いで息を吐くと、また法壇に目を戻した。誰もが息を詰めているのが分かった。
我に返った弁護士が震えを帯びた声で言った。
「妹さんは――シベリアで亡くなったんですか?」
曽我は「ああ」とうなずいた。
「待ってください! では、ホスピスであなたが殺したのは一体誰なんですか」
曽我は覚悟を決めるために間を置いた。
「……三津子だ」
法廷に動揺の波が広がった。
――後悔しているんですか?
文江が命を絶った後、小屋を出て雪原を歩いているとき、三津子が背中から問うた。
――文江はもしかしたら俺たちを生かすために死を望んだのかもしれない。看病していたら共倒れだ。もしそうだとすれば、俺が殺したも同然だ。
自問したことは、昨日の出来事のように思い出せる。
弁護士が質問した。
「一体なぜ三津子さんが文江さんになったんですか」
「三津子は日本に帰ることに怯えていた。生き恥を晒すくらいならシベリアの大地で死んでもいい、と……」
実際、ソ連から帰国した女性たちは奇異と好奇の目で見られ、ソ連兵に何をされたか、興味本位で噂された。だからこそ、女性の抑留者の存在はほとんど新聞で語られなかった。
「私は彼女を説得した。一緒に生きて日本へ帰ろう、と。後で知ったのだが、ちょうどそのころから抑留者の帰国がはじまっていた。運が良かった。私たちは帰国できたのだ」
記憶を思い返すと、今でも感極まる。
身寄りがない彼女が世の中の差別的な眼差しの中、一人で生きていくのは困難だった。
だから、妹の文江として――家族として受け入れた。
「私は――」曽我は感情を吐き出した。「妹を――“文江”を二度、殺した」
ホスピスで“文江”が苦しんでいた。末期のがんと認知症、肺炎、腎不全――。健康な部分を探すほうが難しく、緩和ケアにも限界があった。
彼女は認知症の『失認』という症状で、プリンも食べ物と認識できず、食事も難しくなっていた。看護師が口に含ませたとしても、『失行』という症状のせいで、咀嚼して舌で飲み込む動作も分からない。
健康だったころは美味しい洋菓子が好きだった彼女だが、もはや、好きな物を食べるという当たり前の幸せも人生から失われてしまった。それがあまりにも不憫だった。
(つづく)