幕末・明治小説特集
「名残の花」澤田瞳子著
今年は天災はあったが、平穏に改元が済み、令和となった。しかし、明治に改元したときは、武士が支配した江戸時代から一挙に四民平等の世に変わったのだ。突然、現れた想定外の事態を人々はどうやってくぐり抜けてきたのか。今回は、幕末・明治を生きた人間模様を描く小説を特集した。
元町奉行、鳥居胖庵(耀蔵)は、老中・水野越前守に家禄を没収され、丸亀藩に幽閉されていたが、28年ぶりに「東京」に戻ってきた。上野で酔っぱらいにからまれていた若い能楽師、豊太郎を助ける。能楽師たちは明治維新によって庇護者である武士がいなくなったため、食べていけなくなっていた。
後日、鳥居は豊太郎から、上野ですられた印籠が金春屋敷跡に埋められていると聞いて屋敷跡に行き、スリのおよしと出会う。およしの母は娼婦だったが、鳥居の岡場所取り締まりによってすみかを追われて死んだため、およしは鳥居を恨んでいた。そんなおよしに鳥居は、自分はこの国を正しい道に戻そうと働いてきたのに、信じていたものが崩れるのを獄から眺めるしかなかったのだと声を荒らげた。
時代の転換期に自分の居場所を探る元武士と能楽師の物語。
(新潮社 1650円+税)
「へぼ侍」坂上泉著
陸軍省将校、住本少尉は、料理屋で同席した大阪府四課の船越一等警部にふぐを食べさせ、「わしを殺す気か!」とからまれた。平謝りしていると、店の客引きの男が、実はあれはふぐではなかったと言って住本を助ける。船越が立ち去ると、客引きは「あれは、ホンマにふぐでっせ」と打ち明け、これは口をつぐんでおくから、代わりに頼みを聞いてほしいと住本に言う。客引きは実は剣道場「士錬館」の師範代の志方錬一郎だった。7歳で父を失い、薬問屋で働いていたが、17歳になった明治10年、西南戦争が勃発。壮兵に志願しようとしたが、応徴資格の軍歴がない。そこで、船越に頼んでひと芝居打ち、軍の人事担当の住本に恩を売ったのだ。
窮迫しても武士の誇りを捨てず、「へぼ侍」とからかわれた男が商人の知恵を武器に西南戦争で活躍する歴史小説。
(文藝春秋 1400円+税)
「神奈川宿 雷屋(いかずちや)」中島要著
黒船の来襲でざわめく横浜の対岸にある神奈川宿の雷屋。茶店だが、実は隠れて旅籠もやっている。やってくるのは、口うるさい老婆とその息子とか、あだ討ちの浪人2人連れとか、うろんな客ばかり。雷屋の女中、お実乃が夕餉の膳を運んだあと、2階から悲鳴が聞こえた。老婆が吐物まみれになって震えているので、あわてて医者を呼んだのだが、手遅れだった。医者は心の臓の病だと診断したが、心中では宿で出した料理を疑っているようだ。
4日後、今度は2人連れの浪人が、手足をけいれんさせて死んだ。凍り付いたお実乃の背後で男の声がした「これはどういうことだ」。
やはりあだ討ちの敵を捜していると言っていた権藤伝助という侍だった。権藤は、実は関東取締出役で、居留地の異人を襲った犯人を捜しているという。幕末の宿場町を舞台にした推理小説。
(光文社 1500円+税)
「至誠の残滓」矢野隆著
元新選組十番組組長原田左之助が営む駒込蓬莱町の古物商、“詮偽堂”に、洋装で細身の男がやってきた。同じく新選組三番組組長だったが、今は新政府の下で警官となった斎藤一だ。斎藤は、元長州藩士、塚本新八を調べろという。
塚本は田舎から売られてきた娘たちを女衒から買い取って異国に売り飛ばしたり、アヘンの密売などの悪事を行っているが、その背後には新政府の影がちらつく。左之助が娘たちの監禁場所を急襲すると悲鳴が聞こえた。その声に、「誠」の旗印のもとで不逞浪士たちと死闘を繰り広げた日々の感情が蘇る。左之助は後日、斎藤から、塚本が、政府に反意を抱き、蜂起を企む鎮台予備砲兵第一大隊の岡本少佐とつながっていたことを知らされる。
明治の世に、自分の生き方を探る元新選組隊士たちを描く。
(集英社 1750円+税)
「万波を翔る(ばんばをかける)」木内昇著
冷や飯食いの武家の次男坊の田辺太一は、長崎海軍伝習所で航海術を学んでいた。ある日、江戸に呼び戻され、新たに設けられた外国方に召し出される。選ばれたのは養嗣子や部屋住みの三男ばかりだが英才ぞろい。勘定奉行の水野筑後守は、仕事は通商条約の締結を迫る異国の対応を取り仕切ることで、条約の細かな取り決めについて異人と折衝しなくてはならず、「早い話が貧乏クジじゃ」と言う。
だが太一は、前例に倣う煩わしさがないと、やる気まんまん。突然、明日、調印と知らされて、太一が水野に、外交の内情をすべて伝えてほしいと頼むと、奉行にさように生意気な口を利いた者を見たことがないと言われ、即座に言い返す。
「今は慣例に従うているだけでは立ちゆかぬのではございませんか」
維新前夜、異国との外交に取り組んだ幕臣が活躍するエンターテインメント。
(日本経済新聞出版社 2000円+税)