北尾トロ(ノンフィクション作家)
8月×日 酷暑が盛りを過ぎ、朝晩が涼しくなってきた。趣味でやっている野菜作りも、トマトやキュウリが枯れてきて、元気なのはナスとオクラくらいだが、収穫量はともかく畑にいるだけで気分がいい。コロナ禍で家にこもりがちな日々、もっとも汗をかく場所はここなのである。自宅で仕事をしているので、部屋にいるときは書きかけの原稿とにらめっこしている時間が長い。気分転換は活字。麻雀仲間の高木瑞穂が新刊「日影のこえ」(鉄人社 1650円)を出したので読み始める。中野劇団員殺人事件や京都アニメーション放火殺人事件など、9つの重大事件の背景から、“その後”までを追ったノンフィクション。YouTubeの人気サイトと連動しているのが特徴だ。再現性が高いのは、事件の当事者と行動をともにしながらのリポートが多いから。新聞記者の文章とは異質のしつこさと丹念さ。報道が一段落してから始まる当事者たちの苦悩や悲しみが浮かび上がる。写真も多く、緊張感が途切れない。
8月×日 著者の高木氏と久しぶりに卓を囲んだ。内容が重いので1編ずつ読んでいるというと「最後が一番の自信作なんです」とのこと。「わかった、投げ出さないよ」「ありがとうございます。すいません、それ、ロンです」。
翌日、最終章にたどり着いた。2005年に発生した大阪姉妹殺人事件だ。16年後の2021年夏、著者は事件現場のマンション前で姉妹と仲の良かった女性に会い、加害者はとうに死刑に処されているのに、この女性や被害者遺族にとって事件はまだ終わっていないことを知る。そして、改めてこの事件がどんなものだったのかを、彼らの立場から掘り起こそうとしていく。自分ならどうしたか、僕も一緒に考える。一気読みもいいけれど、ときには考え込みながらの読書も悪くない。
最後の最後、姉妹の母親と会う場面では心が震えた。そして気づいた。犯人が死刑になって喜んでいる人など、この本には1人も出てこなかったことに。