「死ぬんだろうな」と思った…樋口大悟さん白血病との闘い
それを受けて「歯に細菌が入っているから歯を抜く」と言いだした医師に、異論を唱えたのは母親でした。母は現役の看護師で、新潟から来てくれていたのです。「これは歯じゃない」と感じた母は、病院の反対を押し切って僕を転院させました。
転院先はN病院で、すぐに潰瘍は良くなったんです。敗血症だったらしく、抗生剤を打ったらウソのように治りました。「同じ東京の病院でもこんなに格差があるんだ」と思いました。母は今でも「あのとき転院していなかったら、今生きていないわよ」と言います(笑い)。
転院先で3回目の抗がん剤治療を終え、26歳の4月に寛解して退院になりました。でもその1年半後にまた血液の数値がガクンと下がり、調べると、白血病を治療したことによる「治療性の骨髄異形成症候群」(血液のがん)と診断されました。
一度良くなっていただけに以前にも増してショックが大きく、しかも治療法は骨髄移植しかないというのです。当然のことですが、移植が成功するとは限りません。まだ日常生活に支障はなかったし、移植に良いイメージを持っていなかった僕は、なかなか踏み切れず、精神的に追い込まれたまま3年を過ごしました。でも、血液の数値が一段と下がってしまい、周囲に背中を押される形でやっと移植を決意したのです。