鎖国中の江戸時代にインフルエンザは流行していたのか?
甲斐甲府城主から5代将軍・綱吉の後を継ぐと、生類憐れみの令を廃止、新井白石らの学者を登用し、善政を行いましたが、50歳ではやり病で亡くなったとされています。
江戸時代のインフルエンザは海外から持ち込まれた、とされています。一般的には江戸時代の日本は鎖国により海外との交流はほとんどなかったと思われていますが、意外に来航する船はあったようで、海外の品物は江戸時代以前よりも多く日本国内に流通していたとされています。
たとえば、平戸・長崎の商館の帳簿係が残した会計資料による日蘭貿易を見ると、1609年に2隻だった貿易船は1661年に11隻となり、貿易額も激増しています。海外ではこの間、国を超えた大流行が幾度となくありましたから、感染力が強いインフルエンザがわずかとはいえ外国人と交流した日本人に感染し、そこから広まったと考えられます。
当時は国内では飛脚が活躍していましたから、飛脚を通じて全国に流行したとの見方もあるようです。
ちなみに当時は幕府専用の「継飛脚」、大名専用の「大名飛脚」、町人が使う「町人飛脚」があり、さらに用途などによりさまざまな飛脚があったようです。
こうした飛脚が全国を飛び回っていたことから、一般の旅人らとともに飛脚がインフルエンザを含めた流行病を全国に広めたと考えられていたようです。
(弘邦医院・林雅之院長)