彼氏に発行したスタンプカード。ラーメン一杯無料が先か、ガチギレが先か。(新井見枝香)
見続けてしまう動画。えっ、私?
【「イキてく強さ」】
スマホで延々見続けてしまう動画がある。お笑いコンビ「世間知らズ」椎木ゆうたのInstagramもそのひとつだ。髪を明るく染めたぽっちゃり系の女性と、三枚目風の声だけ出演する男性が、どうやら同棲している恋人同士という設定で、ちょっとした彼氏の失言で彼女が“ガチギレ”する、ショートコントのようなシリーズである。
たとえば、買ってきてあげたヨーグルトがお気に入りの銘柄でないと、礼も言わずに文句を言う。出掛け前、真剣にマスカラを塗っている時に、どうでもいいことをぐだぐだ話しかけてくる。
彼女はうんうんと笑顔で聞いたのち、「ちょっとごめんねー」と言った途端、表情を豹変させる。そして、やや視線を外した状態で不満をぶちまけるのだ。
「クソぼけがよぉ!」
お決まりの「クソぼけがよぉ!」を放ったらスッと笑顔に戻り、「今すぐ買ってくるね」などと心にもないことを言うのである。
その剣幕に慄(おのの)いた彼氏は、慌てて謝罪するも、彼女の怒りは収まらない。彼氏を睨みつけながら恐ろしい捨て台詞を吐き、動画が終わるのがお決まりのパターンだ。
私はそれを見て、うわー怖っ! と腹を抱えて笑っていたが、ちょっと待てよ。
そのガチギレっぷり、身に覚えがある。
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私は呼吸をするように嘘を吐く
私は人に対して、本音を言わない。自分の本音がどこにあるのか、自分でもわからなくなるくらい、呼吸をするように嘘を吐く。人から無理をしているように見えないのは、さも自分はそう望んでいたかのように振る舞うのが、異様にうまいからだ。
しかし、実はわがままで短気で気位の高い私の不満がたまった分、心の中のスタンプカードもポンポンとスタンプが押されていて、ある時突然、まるでラーメンが一杯無料になるみたいに、本音がぶちまけられる。
私と付き合いが生じた時点で自動的に発行されるスタンプカードは、どれくらいたまったかが可視化されないため、まるで動脈にたまった悪玉コレステロールのように厄介なのだった。
スタンプカードの集め方
スタンプが押される時、それはたとえば朝食。普段はその辺にある菓子を口に入れるか、スタバで甘いものを飲むだけである。しかし、家に泊まった彼氏が手作りの朝食を期待しているだろうことは、手に取るようにわかる。
まあ料理は得意だから、作ってあげることもやぶさかではない。なんなら、そんなつもりでクロワッサンを2個買っておいた。
私は人を喜ばせることが好きなのではなく、何をして欲しいか、何を言って欲しいかがわかってしまうので、つい条件反射で対応してしまうだけなのである。
特別やさしいわけでも、気配り上手なわけでもない。
『午後の紅茶』がいいと言い出す、1個
クロワッサンをトースターに突っ込んで、フライパンでソーセージを炒めて、千切りにしたキャベツをカレー粉マヨであえて、有機栽培のトマトをスライスして、さあ美しく挟みましょう…と思ったらクロワッサンが焦げている。
キッチンに顔を出した彼氏が「あーあ」と一言。スタンプ1個。グラスに氷を入れて、一晩かけて水出しした緑茶を注ぎ、トレイにセットして運んだ。さあいただきます。
しかし彼氏は『午後の紅茶』がいいと言う。氷を入れたグラスごとひっくり返して、ペットボトルから注ぐ。スタンプ1個。口を開けて待つ彼氏に、クロワッサンサンドを掴んで、食べさせてやる。ツバメのお子さんか。スタンプ3個。
咀嚼しながらスマホで『ポケモンGO』を始める。料理人が見たら絶対イラッとするやつ。スタンプ1個。おいしいです、となぜ言わない。スタンプ1個。怒りで手がワナワナしながら食器を洗ったら、手が滑って皿が割れた。スタンプ1個。
もはや直接的な不満ではなくても、スタンプは押されていく。
カードが一杯になり、ツモった瞬間…
外は暑くても、面の皮も厚いため、一見いつも通りの涼しい笑顔で街を歩く。それにしても今年の夏は暑い。彼氏が習慣的に私の手を取る。にゅる。手汗すご。
冷え性で冷たい私の手を冷えピタ代わりにしないで欲しい。スタンプ1個。もうすぐ満杯になる。そこでふと、彼氏が手を離した。ふう、助かった。
しかし次の瞬間、その手のひらをズボンで拭いたのである。さも人の手汗がすごくて嫌みたいな感じだが、それ99%あなたの手汗だよ! そこでカードが一杯になりました。
こうして私は(相手にとっては唐突に)ぶち切れる。そしてにっこり笑ってこう言うのだ。
「なんか私、手汗すごくてごめんね」
目が死んでる。
(新井見枝香/元書店員・エッセイスト・踊り子)