モブキャラ自認の23歳が「パパ活」に落ちるまで。50万円のヴァンクリに「興味ない」は言い訳?【恵比寿の女・山本 晴乃23歳 #1】
【恵比寿の女・山本 晴乃23歳 #1】
【何者でもない、惑う女たちー小説ー】
「倉持様、こちらでお待ちいただけますか」
恵比寿から徒歩5分。山手通り沿いのビルにある美容整体サロン。受付の山本晴乃は、来店した倉持まひなに穏やかにほほ笑んだ。
「…はぁーい」
まひなは手元のスマホに目を留めたまま、無言でLady Diorを晴乃に差し出す。待合ロビーの猫足ソファに当たり前のように腰を下ろし、すらりと伸びた脚をおもむろに組んだ。
艶めくロングヘアをかき上げながら、気怠そうにLINEを打つまひな。耳元には、クローバーを象ったピアスが揺れていた。
――また違うピアス。ヴァンクリだけでいくつ持っているんだろう…。
自分と目が合わないことをいいことに、晴乃は彼女をまじまじと見つめる。年齢は23歳。お客様カルテに職業は会社員と書いてある。
ロエベの財布から覗く社員証を見るに、偽りではないだろう。ただ、何かしらの「副業」を営んでいることはゆうに想像できる。
このあと、顧客である年上男性に会いに、麻布や六本木界隈に繰り出すのだろうか――。
私は「姫」に使える召使いみたいだ
「ねぇ、まだ? ボーっとしてるんなら早く通してよ」
晴乃の視線に気づいたのか、まひなは不機嫌そうにつぶやいた。
「申し訳ございません。前のお客様がいらっしゃいますのでお時間通りのご案内となります」
うっすらと舌打ちが聞こえた。眉間にしわを寄せているが、それでもまひなはとても美しかった。
このサロンで行う小顔フェイシャルエステの料金は1時間で4万円。カイロプラクティックも取り入れた美顔施術だ。晴乃の1カ月の食費と同じ料金であるが、それ相応の価値と効果がある。
現に常連客の彼女はこんなに輝いているのだから。
「――あのさ、喉乾いた」
まひなの低い声が小さなロビーに響く。施術前のお客様にお茶は基本出していないが、お姫様の機嫌を損ねぬよう晴乃は慌ててお茶を淹れ、彼女の前に跪いた。
「お時間になりましたらお呼びいたします。ごゆっくりどうぞ」
「…」
同じ恵比寿という華やかな場所に立つ、同じ年齢のふたり。
だけど、晴乃はまひなの物語のモブキャラ未満の存在である。彼女の日常を進めるためのエキストラにすぎない。
晴乃はそれを十分理解している、まひなは別世界の人物…の、はずだった。
50万円のピアスに「興味がない」のは言い訳?
毎晩、晴乃が帰宅の途につくのは、23時近くだ。サロンでも一番の新人なので、営業終了後、施術のレッスンを先輩たちから受けて片づけ等を終えるといつもそのくらいになってしまう。
サロンから自転車で10分の場所に、晴乃の住むアパートはある。
築40年、3階建ての2階部分にある6畳一間。家賃は7万円。周辺のどの駅から遠いこともあり、このエリアでは破格の家賃だ。
「ただいまー…」
部屋の扉を開けるなり、誰もいない暗闇に呼びかけた。田舎の大家族育ちである晴乃の癖のようなものだ。当然ながら何も返ってこない。
収納がないこの部屋にあるのは、米どころの故郷から送られてきた米と炊飯器、冷蔵庫くらいだ。テレビない。パソコンも当然ない。スマホがあればある程度、事足りる。
「あのピアス、50万円近くするんだ」
ネットサーフィンをしながら、晴乃はふりかけごはんをかき込む。まひなが身に着けていたハイブランドの検索画像が今晩のおかずだ。食欲より好奇心が満たされる。
――よかった、私はこういうのに興味がない人間で。
年頃の女性が多い職場ゆえ、そういった知識は自然と入ってきてしまうが、晴乃はそれらの価値を見出せない。
同じお金を払うなら、生活費の足しにしたいし、もっとお金をもらえるなら、アロマや施術技術の資格を取るための学校にも通いたいと思う。ゆくゆくは自分のお店も出したい。
だからこそ、贅沢なアクセサリーやバックは、今の自分には必要ないものなのだ。
もしかしたら、それは言い訳なのかもしれないのだけれど…。
ついにチャンスが巡ってきた!
『明日、1時間早く出勤できますか? スキルテストを行います』
トップ施術師でありオーナーの大西友梨佳からLINEが届いた。晴乃は背筋を伸ばし、すぐに了解とお礼の言葉を返す。
地元の短大と専門学校を卒業後、店に入って半年。やっとこの時が来たと身を引き締めた。
――しかも、友梨佳先生が直々に見てくれるなんて!
喜びもつかの間、最悪なことが…
友梨佳は芸能人や政財界にも多くの顧客を持つ美容業界でも一目置かれる存在である。まだ30代前半であるが腕一つでこのサロンを人気店に押し上げた。
晴乃は美容専門学校時代、1日講師をしにやってきた彼女の教えとその美貌にどっぷりと魅せられ、その場で弟子入りを志願した。それくらいのカリスマだ。
鼻歌を歌いながら晴乃はベランダに出る。夜風が心地いい。母親に明日のテストの報告をしようと、スマホを見つめる。嬉しさで、手は震えていた。
すると突然、どこからかサイレンの音が聞こえてきた。ビクッと肩を揺らす。
「――あ!!」
そのはずみでスマホは右手をすり抜けて、暗闇へ消えていった。
少し遅れて、鈍い音がした。
階下へ取りに行くと、幸い機能は生きていたが、画面にはクモの巣のような亀裂が走っていた。なんとかすれば使えるが、なんとかしないと使えない状態になっているAndroid。3番目の兄から上京時にお古を譲り受けたものだった。
そのショックもあり、翌日のテストは散々だった。
もう召使いから抜け出せないの?
友梨佳曰く、「技術は身についているが、ところどころが雑」ときつく苦言を呈された。自覚がある分、その指摘は胸の奥深くまで突きささった。
当然、晴乃は引き続き受付対応に専念という結論を下される。
「予約の倉持まひなでーす」
こういう時に限って、朝一はあのお客様だった。相変わらず華美な装いで、ピカピカのネイルがまぶしい。また違ったアクセサリーを身に着けている。
この世の全てを手に入れているような自信満々な笑顔を向ける彼女。切り替えようと、晴乃は全ての感情を押し殺して微笑んだ。
「お待ちしておりました――」
だが、言葉が詰まる。まひなの姿はいつも好奇心で舐めるように眺めているのに、今日だけは目をそらしたくなった。
――しょせん、召使いはいつまでたっても召使いのまま…。
視界が涙で歪む。
彼女が初めての自分の顔をじっと見てくれたような気がした。
【#2へつづく:「ギャラ飲み」にハマった女子が港区で受けた洗礼。富裕層のニヤつく視線のワケは】
(ミドリマチ/作家・ライター)