ワクイ音楽事務所 増田峰夫社長(1)ナベプロ大卒1期生で森進一と布施明を担当
■試験官チーフはすぎやまこういち氏
墨田川高校から1年の浪人を経て、早稲田大学法学部に入学。新卒で当時の大人気企業である日活や松竹など映画会社を受けたが、縁がなかった。なべ底不況の影響もあり、増田氏は就職浪人をする。それが運命の始まりだった。60年10月、渡辺プロが初めて大学卒の採用試験を行ったのだ。
「早稲田の就職課へ行ったら、募集の張り紙があったんですよ。街中で楽器を積んで走るトラックに『渡辺プロダクション』と書いてあって、興味を持ってました。大学時代、『オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダ』というサークルに所属していて、音楽に関わる仕事をしたいなと。僕は新卒じゃなかったけど、電話したら『受けるのは自由』と言われて。入社してからわかるんですけど、すぎやまこういちさんが試験官のチーフでした。筆記試験の問題を全部作ったみたいですね」
すぎやま氏は文化放送からフジテレビへ出向し、渡辺プロと共に「ザ・ヒットパレード」を制作していた。当時の芸能事務所はタレントのテレビやラジオ出演料に依存していたため、経営は安定しなかった。渡辺プロは、一括して安定的な収入を得られる番組制作に鉱脈を見いだしていた。