アイロボットジャパン 挽野元社長(1)ルンバで知られる家庭用ロボットメーカー
1992年、挽野は横河ヒューレット・パッカード(現・日本ヒューレット・パッカード)に入社する。
自動計測システムのようなすばらしい機器の開発に関わりたいと思っていた。しかし、配属されたのは、研究開発部門ではなく、パソコンの販売企画担当だった。
挽野自身、パソコンにはあまり詳しくないうえに、当時の同社では主流から外れた部門。しかもスタッフはたった3人、上司は他の部署との兼任というありさまだった。
「『なんというところに来てしまったんだ』と、またもや悶々とする日々が続いたのです」 =つづく
(ジャーナリスト・林美保子)