第一線に生き残る「昭和元年企業」の強さの秘密 決して順風満帆ではなかった“ド根性”時代
昭和の始まりは1926(大正15)年12月25日の大正天皇崩御。同日、昭和天皇が即位し、直ちに昭和に改元された。この頃は新たな企業が勃興した関東大震災の復興期。その後の昭和恐慌(1930年=昭和5年)でその多くが消えていく中、どっこい、生き残った企業は今も第一線で大活躍している。
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■日米繊維戦争、石油ショックで苦境の時代を乗り越え
●クラレ(倉敷絹織)
クラレは倉敷絹織として岡山県倉敷市で創業。レーヨン(人造絹糸)の生産で躍進した。レーヨンはシルクのような光沢を持つ植物由来の化学繊維。当初は欧州製が先行していたが、やがて日本のお家芸に。戦後も朝鮮動乱を契機として輸出が飛躍的に伸び、「東洋レーヨン」(現東レ)、「帝国人造絹糸」(現帝人)、クラレといった会社を世界的な企業に躍進させていった。
「初代社長の大原孫三郎は倉敷の大地主の家柄で、出資した倉敷紡績(現クラボウ)の近くで倉敷絹織を創業しました。岡山港に程近いなどのロケーションも考慮したことでしょう。現在のクラレという社名は、倉敷レーヨンから来ています」(クラレ広報担当者)
とはいえ、順風満帆な時代が続いたわけではない。
「1970年代前後の日米繊維紛争、オイルショックなどで次第に安価なアジア製品に押されていきます。そこで当社は世界初の人工皮革・クラリーノなども開発してきました。現在の主力製品は液晶ディスプレーの表示に欠かせないポバールフィルムなど。繊維部門の売り上げは全体の1割ほどになっております」(前出の担当者)
日本の産業は繊維から重工業、そして電機、自動車にシフトしていく。日本の産業が強くなるたびにアメリカからちゃちゃを入れられてきた歴史があったのだ。