ソフトバンク1位指名・加治屋蓮が乗り越えた「母の不幸」
試合は雨で順延。翌日の再試合を控え、家に帰ってきたとき母の死を聞かされ、全身の力が抜けた。そしてむせび泣き、立ち上がれなかった。それでも博樹さんは翌日、長男を試合に送り出した。
「家にいてじっとしてるよりは試合に出て、少しでも野球に携われ。その方がお母さんも喜ぶやろ。近くで沈んだ顔をしているより、好きだった野球をやった方が喜ぶんじゃないか……そう言ったんです。まあ、試合はボロ負けでしたけど、あれはあれでよかったと思っていますよ」
■現場監督と“主夫”
妻を亡くしてから博樹さんは2つの「仕事」を持った。当時働いていた土木工事の現場監督と、「主夫業」だ。毎日朝5時半から6時の間に起き、息子2人の弁当作り。それから朝食の準備をし、仕事に向かう。仕事中も3時前後になると、「さて、夕飯は何を作ろうか」と頭を悩ませた。
「お母さんが看護師で夜勤の時もありましたから、もともと1週間に1、2回は僕が夕食を作っていたんですが……。いや、自分でもよくやれたと思います。無理だと思っていても、いざその立場になると出来るもんですね」