ソフトバンク1位指名・加治屋蓮が乗り越えた「母の不幸」
加治屋は2人兄弟。2歳下の弟とは仲が良い一方、ケンカもよくした。
「母には『やめなさい!』って怒られましたけど、父は『どっちかが死ぬくらいまでやれ』って。そう言われると何か……すぐに収まっちゃうんです」
博樹さんは「スパルタは嫌だった」と続ける。
「僕は姉と妹に挟まれて育ったので、男兄弟の育て方はわからなかった。でも、職場の先輩が『スパルタでは子供は成長できないよ。親の顔色をうかがうようになる』と話していたのを聞いた。まあ、お母さんの怒り方はそこまで厳しくないから。じゃあ、怒り役はお母さんでいいかなって」
両親にたっぷりの愛情を注がれ、自然を友として育った加治屋は串間市内の福島高校に進学。野球部では投手としてメキメキ成長していった。
08年の夏、今も忘れられない「そのとき」が訪れた。高校2年の加治屋が夏の県予選で戦っている最中、それまで元気だった母の伊津子さんが心筋梗塞で他界。38歳という若さだった。
加治屋に悲報はまだ届いていなかった。