巨人森監督誕生なら打撃コーチは張本勲だった

公開日: 更新日:

 巨人の来季監督に森祇晶氏決定の報道があったのはその数日後だった。

「森さんは私をヘッドコーチとして考えていたようです。正式に話があってもダイエーとの契約が1年残っていたので森さんと巨人に行くことはできませんでした。後に知ったのですが、森さんは打撃コーチに張本(勲)を呼ぶつもりだったみたいです。森さんの巨人監督の話が消えてから張本に会うと、『あの話、私は引き受けるつもりだったよ。クロさんも(巨人に)来てくれるもんだと思っていた』と聞きましたから。76年に日本ハムから巨人に移籍した張本は、長嶋監督のもとで2年連続リーグ優勝に貢献。パ・リーグ時代は巨人に強い憧れを持っていた人で、卓越した打撃技術で3000本安打をマークした大打者でしたからね。現役引退後は指導者としてユニホームを着なかった。あの時、巨人の打撃コーチになっていれば……と思うことはありますね。当初は森さんを監督にしたかった巨人は、9月10日か11日に森監督の就任を正式に発表するはずだったみたいです。でも、OBや外部から反対の声が多かったので森さんは気持ちがなえたのでしょう。巨人が監督就任を発表する予定だった日に断りの連絡をしたようです」

 余談になるが、森氏といえば西武監督時代の89年、4年連続日本一を逃すと、当時の堤義明オーナーから「(来年も監督を)やりたければ、どうぞ」と言われて続投すべきかどうかを迷っていた。

「あの時、森さんは川上さん(哲治=元巨人監督)に相談したんです。『君も思うことはあるだろうが、我慢しなさい』と言われたそうです。引き続き指揮を執ることを決めると、私に連絡が来ました。『黒、西武に戻ってきてくれ』と。それで90年からヘッドコーチになり、森さんと一緒に3年連続日本一になったのは、いい思い出です」

【連載】巨人軍 あの日、あの時、あの事件

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  2. 2

    “氷河期世代”安住紳一郎アナはなぜ炎上を阻止できず? Nキャス「氷河期特集」識者の笑顔に非難の声も

  3. 3

    不謹慎だが…4番の金本知憲さんの本塁打を素直に喜べなかった。気持ちが切れてしまうのだ

  4. 4

    バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた

  5. 5

    大阪万博の「跡地利用」基本計画は“横文字てんこ盛り”で意味不明…それより赤字対策が先ちゃうか?

  1. 6

    大谷翔平が看破した佐々木朗希の課題…「思うように投げられないかもしれない」

  2. 7

    大谷「二刀流」あと1年での“強制終了”に現実味…圧巻パフォーマンスの代償、2年連続5度目の手術

  3. 8

    国民民主党は“用済み”寸前…石破首相が高校授業料無償化めぐる維新の要求に「満額回答」で大ピンチ

  4. 9

    野村監督に「不平不満を持っているようにしか見えない」と問い詰められて…

  5. 10

    「今岡、お前か?」 マル秘の “ノムラの考え” が流出すると犯人だと疑われたが…