プロ野球タイ「実働29年」 日ハム中嶋聡に備わった“処世術”
球界最年長捕手の日本ハム中島聡(46)が、とうとう「現役」としてのユニホームを脱ぐ。
ここ数年はほぼ戦力外。今季の出場も4月15日のロッテ戦わずか1試合で、ここ5年は通算でも17試合の出場だけ。数字だけ見ればとっくに戦力外通告されていても不思議ではない。
それでも、工藤公康(現ソフトバンク監督)、山本昌(中日)と並ぶプロ野球タイ記録の「現役29年」を貫けた背景には、コーチ兼任という役職もさることながら、「処世術」もあったといわれる。
捕手というポジションは他の野手と異なり、1試合1人の出場が基本。特に中嶋の全盛期だった80~90年代はその傾向が強く、第2、第3捕手の出場は限られていた。出場機会が得られない捕手は自然と他チームに移籍する。4球団を渡り歩いた中嶋も一時は「正捕手」にこだわりを持っていたそうだが、本人を知る西武OBによれば、「西武に移籍したあたりから考え方が変わった」とこう続ける。
「98年に伊東勤(現ロッテ監督)が正捕手だった西武に移籍してからは、どう頑張っても正妻としてスタメンマスクをかぶれないことは明白だった。そこで、『試合に出場するのは1人でも、捕手は確実にベンチに2人は必要。その1人に入れば現役を続けられる』と第2捕手として生きていく腹を固めた。それからは、オレがオレがという意識を捨て、黒子に徹した。首脳陣も『試合で使ってくれ』とアピールする捕手より、文句を言わずベンチで待機してくれる捕手の方がありがたい。中嶋のこうした生き方、考え方が現役生活を延ばしたのでしょう」