DeNAドラ1の東克樹 バスケ選手だった父譲りの“負けん気”
「克樹が野球を始めたのは小学1年。何かスポーツをさせたいと思い、小学生の野球を見せたのがきっかけです。体は小さいが負けん気が強く、投手をやっている時は『球場の中で一番高い場所はマウンド。ここは絶対に渡さない』と、よく口にしていました。私の身長は171センチ。妻は153センチ。この両親ですから、息子に180センチ以上になることは期待してませんでした。大学生の次男も167センチですから。妻の競技歴はバドミントンとソフトボール。私も背が高い方ではないですが、中学、高校とバスケットボール部にいました。県内ではいずれもベスト3に入るぐらいの実力校でした。克樹の運動神経と負けん気の強さは私の遺伝子じゃないですか」と言って直史さんは笑う。
克樹は地元の野球少年団から四日市トップエースボーイズに進んだ。九鬼好博監督は「打撃もいいので外野手もやらせていた」という。
「3歳上の谷口雄也(愛工大名電―日本ハム)は、入ってきた時からプロに行く予感はありました。失礼だが、東は正直なところプロ入りできるとは思いませんでしたね。何しろ体が小さかった。でも、コントロールが良く、(日本少年野球連盟の)中日本ブロックのセレクションを経て、『NOMOジャパン』(ジュニア・オール・ジャパン=野茂英雄総監督)に選ばれました。(三重)県内の高校からもずいぶん声がかかったのですが、『愛工大名電に行きたい』というので、倉野(光生)監督のところに連れていきました。やはり身長がないので監督も『ぜひ』という感じではなかった。『投手は無理でも、打撃がいいので野手としても使える選手です』と伝えました。それが大学で150キロを超えるボールを投げるまでになった。まさか……という思いですね」