輪湖時代築くも死去 天才横綱・輪島大士さん“破天荒伝説”
自由奔放にして破天荒。しかし、こと相撲に限れば天才だった。
9日、第54代横綱・輪島大士氏が8日、死去していたことがわかった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だったという。
1970年代に故・北の湖の向こうを張って、「輪湖時代」を築いた人気横綱。優勝14回と実力もさることながら、何よりも型破りの言動で知られていた。稽古を「練習」と呼び、地方場所では花籠部屋の宿舎ではなく、ホテルから“通勤”していた。
相撲評論家の中澤潔氏が言う。
「まわし一丁で阿佐谷の街をランニングしていたこともある。そもそも力士は『走るな』と教わるものです。常に足の裏を地につけて踏ん張るのが相撲の基本。ランニングは相撲の稽古から対極にある。輪島が在籍していた日大相撲部は阿佐谷に道場があり、所属した当時の花籠部屋からは目と鼻の距離。当初は日大の合宿所で寝泊まりし、部屋に通っていた。そんな力士はおらず、何から何まで異質でした」
70年1月場所で初土俵を踏み、わずか3年半、所要21場所で横綱に昇進。これは年6場所制となった58年以降、いまだ破られない最速記録だ。日大出身のため、幕下付け出しデビューという事情を考慮しても、驚くべき早さである。