「先駆者が少なかった」本田が豪州を新天地に選んだ理由
「(1993年の)Jリーグ発足当時、リネカーやベンゲルが日本に行って本場のレベルを伝えました。豪州にとってのホンダは同じような存在。本人も『米国ではなく豪州を選んだのは先駆者が少なかったから』という話をしていた」とメルボルンVを7年間取材している地元紙「ヘラルド・サン」のデイビッド・ダビュトビッチ記者が言うように「本物のトッププロの見本」として豪州サッカーのレベルを引き上げようとしているのだろう。
今回の渡豪を含めてロシアW杯後の考えを聞こうと練習後、駐車場に向かう本田に話しかけると「また今度」と軽くいなされてしまった。食い下がって「最近の日本代表の試合を見たか?」と尋ねると「見てない」と言う。22日の会話は、ほぼこれだけで終了。23日に再度「A代表に来る気はないのか?」と確認すると「行くつもりはないですね」と即答。「呼ばれたらどうするのか?」と念押しすると「呼ばれないと思います。行くつもりがないんで」と繰り返すばかりだった。
本田は、2020年東京五輪のオーバーエージ枠入りを目標に掲げている。そのためにも豪州のレベルを引き上げ、自分自身も飛躍を遂げることが肝心だ。A代表を視野から外して「ストイックにターゲットに向かって進む」というのが、現在の心境なのだろう。そしてもうひとつ――。彼には大きな野望があった。