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権藤博野球評論家

1938年12月2日、佐賀県鳥栖市生まれ。鳥栖高からブリヂストンタイヤを経て61年に中日入り。1年目に35勝19敗、防御率1.70という驚異的な成績を挙げ、最多勝や沢村賞などタイトルを総ナメに。連投に連投を重ねる姿に「権藤、権藤、雨、権藤」の流行語が生まれた。68年に現役引退後は各球団の投手コーチを歴任。横浜で初の監督に就任した98年にはいきなりペナントを制し、38年ぶりの日本一に導いた。

球界のトップにもラグビー森重隆会長のような人材が欲しい

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■WBC投手コーチ就任秘話

 そういえば、私が2017年WBCの日本代表投手コーチを打診されたその日も、彼と一緒だった。小久保ジャパン初の国際大会となった15年11月のプレミア12で、日本代表は惜しくも3位に終わった。失意の小久保監督を労おうと福岡に行った私は、そこへ地元の重隆も呼んだ。彼は学生時代の恩師、明大ラグビー部の北島忠治監督や、ライバルの早大を率いた大西鐵之祐監督の言葉やエピソードを交えながら、「試合で最高のプレーをしようと思うのは間違いです。練習で最高のプレーをしないと試合ではできませんよ」と熱っぽく語ってくれた。

 その夜のことだ。重隆と別れ、小久保監督と2人で行ったラーメン屋で「きょうはありがとうございました。権藤さん、投手コーチとしてWBCを一緒に戦っていただけませんか」と打診されたのだ。そういう意味でも思い出深い。

 新日鉄釜石を退社後は故郷の福岡に戻って、家業の「株式会社 森硝子店」の社長になった。その傍ら、県内有数の進学校である母校の福岡高校でラグビー部監督を務めたうえ、同校を花園出場(全国大会)に導いている。名選手にして名指導者でもあり、経営者としてビジネスにも通じている。

 15年からは協会の副会長、九州ラグビー協会会長として実務経験も積んだ。なにより圧倒的な人望がある。

 球界のトップにもこういう人材が出てこないものだろうか。

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