日本人初8m超えのため 山田宏臣さんは“8”にこだわリ続けた
「スポーツをやるだけで給料がもらえる。まるで月給ドロボーだ」と、苦笑していた山田だが、徐々に不安になる。同僚社員は残業もいとわず仕事をこなしていたからだ。
■知恩院の医師団を片足ケンケン
引退したら俺は果たして出世できるのか――。
オリンピック選手と企業の一社員というはざまに立ち、山田は悩んだ。それを解消するには肉体にムチ打ち、ジャンプに懸けるほかなかった。京都の朝隈を訪ね、過酷なトレーニングに耐えた。知恩院の84段の石段を片足ケンケンで4段抜き、5段抜きして駆け上がる。これを1往復1セットとして40セット以上。約2時間でこなし、脚力を鍛え、瞬発力を高めた。ヘドを吐いて倒れると朝隈は1万円札を手に叫んだ。
「おーい、山田。これが見えたら上ってこい!」
こうして山田は東京とメキシコのオリンピックに出場した。
70年6月7日、神奈川県小田原市での実業団・学生対抗陸上競技大会で大悲願である、日本人初の8メートルジャンパーになった。39年ぶりに南部忠平(走り幅跳び元世界記録保持者、32年ロス五輪三段跳び金メダル)の7メートル98を3センチ上回る8メートル01を跳んだのだ。山田は号泣しつつ朝隈に報告した。