若林、杉浦はプロ入りを断念して五輪に野球人生を懸けた
最初は驚いていた2人はそれぞれ2試合に登板、投手をやれることがうれしかったのか、真剣に投げてくれたのが救いだった。イタリアに2連敗して五輪前哨戦はキューバ、イタリアに次ぐ3位。周囲はチーム状態を不安視しただろうが、実はそうした事情があったのだ。
大学、社会人のアマ選手のみで構成されたバルセロナ五輪では、佐藤のように後にプロ入りする選手も多かったが、プロ入りを諦めざるを得なかった選手もいた。
社会人の選手は、高卒は3年間、大卒は2年間社会人でプレーすると、プロのドラフトの指名対象になる。
日本代表に選ばれるような選手は当然、プロも注目しており、当時はプロ指名凍結選手といって、五輪終了時までプロ入りを待ってもらう制度があった。
■「今年が最後のタイミング」
バルセロナ五輪では、杉浦正則(日本生命)、伊藤智仁(三菱自動車京都→ヤクルト、現楽天コーチ)や若林重喜(日本石油)といった選手がこれに該当する。プロのドラフトが行われる前に面談を行い、本人の了解を得る。その場で即決する選手もいれば、いったん結論を持ち帰る選手もいた。