ある代理人の死…駅伝ケニア留学生の生みの親の功罪を検証すべき
今週末に行われる全国高校駅伝で、ケニア留学生が脚光を浴びたのは1993年。仙台育英が男女2人ずつ留学生を配置して史上初の男女アベック優勝を達成した。留学生を紹介(斡旋)したのが小林氏で〈関西からがよくて海外がダメなはずがない〉……しかし、それは屁理屈で、高校生は卒業してもケニアに戻らず、日本の大学、実業団へと進む。15歳前後の若者にそこまでの自己責任を問えるかーー大人、すなわち受け入れ側の線引きが求められるはずだ。
■不法滞在に金銭問題
高校から実業団まで100人近いケニア人ランナーがいる現状に、日本長距離界の答えは出ているだろう。いまや小林氏以外の“コーディネーター”も現れ、当然ながら不法滞在、金銭問題も発生している。代理人が福岡国際マラソンなどにアフリカから多くの招待選手を斡旋し、日本の長距離界に一見華やかな影響を与えたのは確かだ。では、何が変わったか。びわ湖毎日も福岡国際も疲弊したまま幕を下ろした。代理人、賞金、厚底シューズなど、スポーツを取り巻く環境はさまざまに変わる。だが、環境は変わってもマラソンの42.195キロに変わりはない。
福岡国際の再開を模索する動きがあるが、急ぐことではない。陰の人物、代理人の功罪を検証してからの話だろう。