女性暴行疑惑のサイ・ヤング賞右腕に2年間の出場停止処分を科した思惑
大リーグが米国のスポーツ界の発展に寄与した役割は大きい。
1947年4月15日にジャッキー・ロビンソンがブルックリン・ドジャースに昇格して公式戦に出場したことで「人種の壁」を乗り越えた。さらに1955年までに当時の全16球団に「黒人選手」が在籍したことで、アフリカ系アメリカ人選手は不可欠な存在となった。
10年間で87勝を挙げたジム・アボットは先天性右手欠損の選手として知られる。
しかし、障害がありながら大リーグで活躍した選手はアボットだけではなく、大リーグ初期のヒュー・デーリーやウィリアム・ホイから20世紀半ばのピート・グレイ、バート・シェパードらがこれまでに公式戦への出場を果たしている。
こうした事実は大リーグが多様な選手を起用することに積極的であり、現在世界的に重要な概念となっている「多様化」という価値を先取りしていたことが分かる。
しかし、1980年代後半から、大リーグの閉鎖性、後進性が指摘されるようになる。