中日4位・福田幸之介 キャッチボール直撃で失明寸前も…ハンド経験者の小柄でタフな母の献身
■「またイチから頑張ろな」
「中学の野球チームの試合ではスコアラーとしてベンチ入りしていました。真横から見て、ストライクが入らないとハラハラしますし、イライラが募って心の中で『ドアホ!』と叫んだことも(笑)。中学1年時に先発した試合で序盤に9四球を与え、大量失点でKOされた。お互い負けず嫌いな性格で、私もハンドボールを本気でやってましたから、幸之介の負けたくない、うまくなりたいっていう気持ちはよくわかります。『悔しいよな』とか『またイチから頑張ろな』と声をかけて、ため込んでいた気持ちを吐き出させたこともありました」
福田が中学時代に在籍した大阪柴島ボーイズの七條謙二ヘッドコーチは、「馬力型の投手で球速は120キロ台後半とそこまで速いわけではなく、制球もあまりよくなかったですけど、汚いボールといいますか、重くて球威がありました。当時の履正社の岡田監督は左投手がすごく好きで。持っている球が素晴らしいから、制球は入学してから何とでもなると思っていたのでしょう」と話す。
履正社高校入学後も寿子さんは練習に付き合い、プロ入りを控えた今もトスを上げる。大ケガをしても支え続けてくれた母に恩返しをするべく、福田はまもなく名古屋へ旅立つ。