スポーツ報知の「記事ドロボー事件」に思うこと…スポーツ報道に蔓延る「疑似盗用」もしかり
報知新聞に盗用記事があったという。甲子園球場100周年を巡る連載記事が他紙からの無断転用と判断された。
私も世話になった同紙は、かつてスポーツ紙の王者だった。入社時の発行部数は150万部に達し、他の5紙を合わせてもその半分だと聞いた。私が入社して急速に下降したのは、私のせいではなく、その年に長嶋茂雄が引退したからだ。
スポーツ紙で最も古いのは日刊スポーツで、報知はスポニチに次いで3番目の1949年創刊だが、前身は一般紙。箱根駅伝の当初の主催社として知られる。
戦後、読売新聞に吸収され一般紙からスポーツ紙へと路線変更したあたりに“王者”の基礎はあった。スポーツ紙と聞いて多くの記者が辞め、それでも残った中に書き手がいたという。単に勝敗を報じニュースを流すだけでなく、読ませる文章を書くストーリーテラーがスポーツ界に入り込んだのだ。
スポーツ紙への転身は、正力松太郎が構想した巨人軍の“一国フランチャイズ化”に沿うもので、系列の日本テレビによるテレビ中継と連結していた。この構想が58年の長嶋入団、王貞治とのONと相まってのV9時代に劇的に前進。報知新聞は巨人戦だけで何ページも作ることになり、今では当たり前になった、球場外のエピソードを絡ませたサイド原稿を考案。入社当時の編集局長が「あの人が考えたんだ」と、それは今中治という大柄で寡黙な人だった。