秀吉はいつ知ったか 山田風太郎著
天才伝奇小説家の発想の源を垣間見ることができるエッセー集。
表題作は、秀吉の中国大返しがテーマ。天正10年6月2日に本能寺の変が勃発。史実によると、毛利征伐に出撃して岡山の小城高松城を水攻め中の秀吉にその第1報が届いたのが、3日の亥の刻(午後10時ごろ)とある。毛利との和議を成立させた秀吉は、4日の午前10時に高松城の城主・清水宗治の切腹を見届け、午後8時に撤退を開始する。史実通りなら、秀吉は夜中に毛利と談判をしたことになり、著者は毛利との交渉は3日の昼の間に行われたと推測。使者が50里以上の道程を一人で駆け抜けてきたことにも疑問を呈し、秀吉が光秀を操っていたと結論付ける。(筑摩書房 820円+税)