「俺のアラスカ」伊藤精一著
「オオカミの年寄りっていうのは、ものすごい利口で、何回も悔しい思いしたね、オレ」
「何十頭もクマを撃ってきているから、アラスカのクマに指名手配くってるんだな、へへへ」
命がけの狩猟の体験談が、イトーの口から語られると、愉快で豪快で、自然と人間と動物たちが主役の民話を聞いているような気がしてくる。
北米アラスカ州クリアーは零下40~50度にもなる極寒の村。1970年代末にこの村に住み始めたイトーは、アラスカ先住民トムに狩猟の手ほどきを受け、トムから広大なトラップ・ライン(猟場)を譲り受けて、トラッパー(罠猟師)になった。それから30年、冬は罠猟師、春から秋はプロのハンティング・ガイドとして生きてきた。
何がイトーをアラスカに呼び寄せたのか。20代のころは日本で普通に会社勤めをしながら、モトクロスのアマチュアレースに熱中していた。ケガでレースができなくなると、釣り、登山、鉄砲撃ちと興味を広げていった。狩猟と釣りをしながらアラスカで暮らしてみたいなあ、という子供のころの憧れは心の奥でずっと生きていた。
1972年、32歳のとき、1カ月の休暇をとってアラスカへ。ハイウエーを一歩外れると、もう野生の世界だった。野生動物に対する緊張感でピリピリする感覚がたまらなかった。翌年、退路を断ってアラスカに渡り、町でしばらく働いた後、トラッパーになった。重たくて危険な鉄の罠を雪の中に仕掛ける。獲物がかかったら毛皮を剥いで、干して、町の皮屋に売る。ヨーロッパで毛皮ボイコット運動が起きる前のことで、罠にかかった獲物がドル札に見えた。しかし、結婚し、2人の娘の父となって、考えが少しずつ変わっていった。猟はスポーツや楽しみでやるものじゃない。
「罠猟っていうのは、動物と人間の必死の闘いだからね、うん」
現役を退いたイトーは今年、アラスカで80歳を迎える。
(作品社 2200円+税)