「撃ち落とされたエイズの巨星」シーマ・ヤスミン著 鴨志田恵訳
2014年7月17日。ウクライナ上空を飛行していたマレーシア航空17便が武装勢力に撃墜された。乗客乗員298人は全員死亡。その中にオランダの医師でHIV研究の第一人者ユップ・ランゲとそのパートナー、ジャクリンがいた。2人はオーストラリアで開かれるエイズ国際会議に向かう途中だった。
ヨセフ・マリー・アルベルト・ランゲ(愛称ユップ)は、60年の生涯をエイズ撲滅に捧げた。1981年、26歳のとき、医師になって間もないユップが勤めるアムステルダムの病院に、一人の男性患者がやってきた。全身に同時多発しているひどい症状に医師たちは困惑した。同じ頃、医学雑誌はアメリカのゲイの間に奇妙な感染症が広がり、患者が次々と亡くなっていると報告していた。こうしてユップの闘いは、エイズの正体が定かでないときから始まった。
ユップは志を同じくする仲間とともに研究と臨床に没頭する。やがてオランダを離れて世界保健機関(WHO)に転じたユップは、1992年、ウガンダに派遣され、貧しさが招くエイズ蔓延の凄まじい現実を目の当たりにした。感情豊かで短気なところがあるユップは、この病気の理不尽さ、ゲイや途上国への差別意識、各国政府の手際の悪さに激しく憤り、しばしば物議を醸した。しかし、大胆な発想と粘り強さで、貧しい人たちにエイズ治療薬や感染予防対策を届けようと奮闘した。ユップは次のような言葉を残している。
「アフリカのどんな辺ぴな地域にも冷えたコカ・コーラやビールを届けることができるなら、薬を届けることも不可能ではないはずだ」
この伝記は、医者や研究者、政府や製薬会社とウイルスの闘いの様相を、醜い側面も含めて描いている。ウイルスは社会の弱い部分にはびこり、不寛容や差別を増幅することを伝えている。新型コロナウイルスと闘うユップは、どこにいるのだろう。
(羊土社 2000円+税)