「渡辺錠太郎伝」岩井秀一郎著

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 昭和11年2月26日早朝。東京・荻窪の静かな住宅地に軽機関銃が鳴り響いた。武装した兵士たちがトラックで教育総監・渡辺錠太郎の私邸に乗りつけ、襲撃。渡辺はピストルで応戦しながら、40発を超える銃弾を浴びて壮絶な最期を遂げた。そのとき父の部屋に居合わせた9歳の末娘・和子は、座卓の陰に隠れて父の死を目の当たりにした。

 和子は長じて洗礼を受け、修道女として生きることを選ぶ。やがて教育者となり、「置かれた場所で咲きなさい」などのベストセラーで多くの人を勇気づけ、平成28年に89歳の生涯を閉じた。

 同じ陸軍軍人でありながら、渡辺はなぜ暗殺されることになったのか。非戦思想の持ち主だった渡辺の生涯を核に、娘・和子、襲撃に加わって処刑された決起将校・安田優の弟のその後の人生を絡ませて描いた読み応えのある評伝。

 渡辺錠太郎は明治7年、愛知県東春日井郡小牧町に生まれた。貧農の家に育ったが、働きながら独学し、陸軍士官学校に合格、陸軍大将にまで上り詰めた。勉学意欲は生涯衰えず、月給の大部分を丸善の支払いに充てたほどの読書家だった。

 第1次大戦後、渡辺は戦勝国の陸軍委員のひとりとして敗戦国ドイツに滞在。戦争の惨禍をつぶさに見た。敗戦国のみならず、戦勝国もまた惨めなありさまだった。帰国後、「戦争だけはしない覚悟が必要である」と説き続けた。陸軍内部の軍閥抗争からも距離を置いていたが、天皇機関説論争などをめぐって「皇道派」と対立。自らが育てた陸軍兵士たちの銃弾に倒れてしまう。決起が鎮圧されると東條英機ら「統制派」が実権を握り、日本は戦争への道を突き進むことになる。

 著者は昭和史を中心に実績を残している若手歴史研究者。緻密な論考は、「この人が生きていたら、昭和史は変わっていたかもしれない」と思わせる説得力を持っている。

(小学館 1800円+税)

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