「誰も知らなかったジャイアント馬場」市瀬英俊著
ジャイアント馬場こと馬場正平と妻・元子。公私ともにパートナーとして支え合った夫婦には、生前語られることのなかった秘話があった。2018年に元子が亡くなった後、2人が交わした1000通近いラブレターが残された。遺族からその手紙を託された著者は、「週刊プロレス」の記者として生前の馬場夫妻と間近で接したスポーツライター。託された手紙を軸にジャイアント馬場の知られざる一面を書き残すことになった。
馬場正平は1938年、新潟県三条市の青果商に生まれた。大きな体と抜群の運動能力が信越球界で注目を浴び、読売巨人軍にスカウトされて球界入りした。
一方の元子は兵庫県明石市の実業家の娘。父が自宅で催した巨人軍選手の激励会で新人ピッチャーの正平に出会った。元子15歳、正平17歳。
その後、正平の人生は変転する。けが、野球との決別、力道山への弟子入り、プロレスラーへの転身。この間、細々と続いていた元子との関わりは淡い恋へ、真剣な愛へと深まっていった。2人は頻繁に手紙をやりとりした。「貴女」「貴方」から「モーちゃん」「ショーヘー」へ、「カーちゃん」「トーちゃん」へとお互いの呼び名も変わっていった。遠く離れて暮らす元子に「カーちゃんが一人で泣いていると思うと、トーちゃんも泣きたくなります」と返す手紙に正平のやさしさがにじむ。
元子は、正平と真面目に交際していること、プロポーズされたことを両親に告げた。しかし、名家の令嬢とプロレスラーの結婚は許されなかった。特に、元子の母は猛反対した。悩んだ末に、元子は養子縁組までして実家を離れ、2人はハワイでささやかな結婚式を挙げる。しかし入籍はせず、子供もつくらなかった。馬場はその理由を姪にこう漏らしたという。
「おばあちゃんが悲しむからね」
プロレス界に君臨した巨人は、人知れぬ思いを抱えて闘っていた。物事の筋を通す誠実な人だったことが、手紙の文章から伝わってくる。
(朝日新聞出版 2000円+税)