「事務に踊る人々」阿部公彦著/講談社

公開日: 更新日:

「事務に踊る人々」阿部公彦著

 私は普段、経済書しか読まないのだが、本書はタイトルに引かれて、読んでみた。私は、事務が大嫌いだ。出張費の精算とか、物品購入の経費申請とか、とにかく面倒くさい。最近ではインボイス制度とか電子帳簿保存法とか、お上までが、膨大な事務作業を押し付けてくる。事務の背後にはしゃくし定規とか横暴が見え隠れするので、さらに好きになれないのだ。

 だから本書には事務の権力を振り回す人たちを一刀両断する批判を期待したのだが、主張は真逆だった。確かに事務という仕事の負の側面についての言及はあるのだが、それ以上に事務が持つ意義をきちんと整理し、それを文学作品と結びつけて解説する構成になっている。例えば、夏目漱石は教壇に立つときには、とてつもなく頑固で融通が利かなかった。その事務的な性格は、作品のなかにも表れていると事例を通じて分析していく。そうした手法で、世界の名作が事務と密接な関係を持っていることを次々に明らかにしていくのだ。

 著者は日本を代表する文学者だが、そもそも私は文学者との交流を持ったことが、これまでの人生で一度もなかった。だから、本書を読んで、文学者というのは、こういう仕事をする人なのだということが分かって、それが面白かったのだが、もう一つ分かったことがある。それは、文学作品というのが、そもそも面倒くさいものだということだ。「非の打ち所がない男女が恋に落ちて、幸せな結婚生活を送りました」では、作品にならない。だから作家は、さまざまな仕掛けを随所に盛り込む。さらに文学者は、著者の性格やバックグラウンド、過去の作品などさまざまな情報をもとに、著者がどのような意図で作品を書いたのか分析していく。純粋に作品を楽しむことはないのだ。

 つまり、文学作品が面倒くさいうえに、それを研究対象とする文学者というのは、もっと面倒くさい存在なのだ。だから、文学者が事務の擁護に回るのは、ある意味で当然の帰結と言えるだろう。

 ただし、本書は読んでいて面白い。私の住む世界とは、全く異なる世界が広がっているからだ。見たこともない世界が見える。それが本の楽しみの一つだろう。

 ★★(選者・森永卓郎)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    高嶋ちさ子「暗号資産広告塔」報道ではがれ始めた”セレブ2世タレント”のメッキ

  2. 2

    大友康平「HOUND DOG」45周年ライブで観客からヤジ! 同い年の仲良しサザン桑田佳祐と比較されがちなワケ

  3. 3

    佐々木朗希の足を引っ張りかねない捕手問題…正妻スミスにはメジャー「ワーストクラス」の数字ずらり

  4. 4

    大阪万博開幕まで2週間、パビリオン未完成で“見切り発車”へ…現場作業員が「絶対間に合わない」と断言

  5. 5

    マイナ保険証「期限切れ」迫る1580万件…不親切な「電子証明書5年更新」で資格無効多発の恐れ

  1. 6

    阪神・西勇輝いよいよ崖っぷち…ベテランの矜持すら見せられず大炎上に藤川監督は強権発動

  2. 7

    歌手・中孝介が銭湯で「やった」こと…不同意性行容疑で現行犯逮捕

  3. 8

    Mrs.GREEN APPLEのアイドル化が止まらない…熱愛報道と俳優業加速で新旧ファンが対立も

  4. 9

    「夢の超特急」計画の裏で住民困惑…愛知県春日井市で田んぼ・池・井戸が突然枯れた!

  5. 10

    早実初等部が慶応幼稚舎に太刀打ちできない「伝統」以外の決定的な差