伝説の漫才師・浮世亭ケンケンさんが語る“失踪事件”の真相
そういえば、83年、洋七とスティングなる漫才コンビを結成した時期もあった。
「スティングはネタもスタイルも全部作家が作ったもんだったから、窮屈でね。それで、2人で相談して新B&Bに戻したんです。大阪の花月に出た時は、仲間から“ものすごいツッコミのぶつかり合いやな”って感心され、三枝(現・文枝)師匠とかが舞台の袖からボクらの漫才を真剣なマナザシでご覧になってたのを覚えてます」
その前は父親がアメリカ人の小川ジョージと浮世亭ジョージ・ケンジを組んでいた。
「組む相手が長続きしなかったのは、相方の不器用さに我慢できなかったため。で、漫才も一方的にボクが突っ込むスタイルになったんです。あれはジョージと組んでた時でした。テレビのレギュラーも持って月300万円は稼いでたんだけど、ネタを考えてるのは全部オレなのにって不満が募り、番組をすっぽかしたんです。と、駅で洋ちゃんとバッタリ顔を合わせ、説得された。だけど、ボクは頑として応じない。しゃ~ないかと洋ちゃんはあきらめ、当時の洋ちゃんの彼女の家にかくまわれました」