小室等が語る「フォーク」の流れと現在 六文銭&上条恒彦「出発の歌」から始まった
吉田拓郎、井上陽水との交友
もっとも、受賞は意外だったので、レセプションには上條さん、六文銭、バンドのみなさん、赤い鳥の他は、先生方では作曲家のすぎやまこういちさんしかおいでにならなかったですけどね。レセプションが終わって、三浦さんとライトが落ちた芝生に座ってよかったと話をしました。フォークが世の中で相手にされていない時代です。これでキングでも邪魔者扱いされなくてすむと……。
三浦さんの元で育ったアーティストの曲には他のレコード会社のキャンパスフォークなどの甘ったるい味付けのものじゃないもの、ガッツがあった。そういう音楽の先鞭をつけたのが三浦さんであり、僕の六文銭だったと思っています。
僕の場合は谷川俊太郎さんとの出会いが大きかった。他のフォーク歌手と違って俊太郎さんの詩に曲をつけることが多かったですから。四畳半フォークといわれる曲と異なるのは俊太郎さんに負うところが大きいですね。
ベルウッドのアーティストは学生運動はやらないまでも、社会に物申すことがアルバムの一つ一つにも反映されていた。後に企業戦士になっていった団塊の世代の記憶の中にもそれはあると思う。今はそうでも、実はさ、という思い。そういうものがフォークからニューミュージックに至るまで受け継がれ、吉田拓郎さん、井上陽水さん、南こうせつさん、小田和正さんが売れ、さらに桑田佳祐さんまで続く。桑田さんの歌でも比喩にしたりして物申しているものがいっぱいある。
音楽人生の中では仲間と複数で出るようなコンサートを一緒にやったり、飲んだくれるみたいなこともありました。
でも、例えば拓郎さんは小室に頭が上がらないなんて話が知らぬ間に流布していましたが、非常に親しくしていた時期もあったけど、この20年以上は会っていません。年賀状のやりとりくらいはありましたが……。陽水さんは思い出したようにお互いにメールのやりとりをしています。最近では高田渡が亡くなった時「渡が亡くなりました」と最初に知らせてくれました。
今度の50周年記念コンサートには当時の仲間がみんな集まる。TOKYO FMで「小室等の音楽夜話」、その後TOKYO MXで「新音楽夜話」をやってベルウッド時代のアーティストにたくさん来ていただきました。あがた森魚、伊藤銀次、いとうたかお、大塚まさじ……。いとうさんとはこの間もジョイントをやりました。みんな僕がシンパシーを持っている人たちですので、何かっていうと声をかけさせていただきます。僕は六文銭として数曲歌います。バックバンドは高田渡の息子の漣がギター、坂田明の息子の学がドラムをやります。若い彼らにサポートされて歌う「介護つきバンド」ですね(笑)。
(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)