「食」が生きる気力に 好きなものを好きな時に食べられる
男性が常々口にしていたのが、「人間っていうのは気力が大切やね。僕の場合は何かを食べたいと思うことが元気の証しやね」。ワインが大好きで、体としてはもうアルコールを受け付けられる状態じゃなかったのですが、ワインを一口飲んだり(なめると言う方が合っているかもしれません)、亡くなる1カ月前には、前回参加時には「これがもう最後」と思っていた仕事仲間との同窓会にも参加し、仲間とたくさん飲んだり食べたりしていました。
そして「先生に会えなかったら人生が狂ってた。80年生きて、最後にこんなに素晴らしい人生を送れると思わなかった」と言葉を残され旅立たれていかれました。
みとった奥さまも、「退院する時に先生はあと1~2週間かもとおっしゃっていましたが、長すぎることもなく短すぎることもなく、結果としてホスピスに入らなくて本当によかった。病院とはまったく違う対応をしていただき、病院だとこんなふうに過ごせなかったと思います。次は私も診てくださいね」とおっしゃってくださいました。
医師によっては、「食べたら誤嚥を起こしてしまうからやめましょう」「胃ろう(胃から直接栄養を摂取するための医療措置)にしましょう」といった判断をするかもしれません。そういう場合、患者さんや家族が誤嚥というリスクを十分理解し、医師と認識を共有する必要があります。患者さんに「食べたい」という気持ちがあるなら、家族も医師もそれを止めるべきではないと、私は考えています。