女性にモテた坂本竜馬の梅毒説は本当か マラリアなど諸説あり
「兆民先生嘗て坂本君の状を述べて曰く、豪傑は自ら人をして崇拝の念を生ぜしむ。予は当時少年なりしも、彼を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざる予も、彼が純然たる土佐訛りの方言もて、『中江のニイさん煙草を買ふてオーセ』などと命ぜらるれば、快然として使ひせしこと屢々たりき。彼の眼は細くして其の額は梅毒の為め抜け上り居たりきと」
竜馬と明治の思想家・中江は同じ土佐の出身です。秋水も同じです。中江が藩命で長崎留学中に、当時亀山社中にいた竜馬と会ったときの様子を、郷里の後輩であり愛弟子である秋水に自慢げに話したのでしょう。それを秋水は覚えていて「兆民先生」に書き記したのに違いありません。
では、本当に竜馬は梅毒を患っていたのでしょうか?結論を申し上げると私は違うと思います。たしかに、当時の長崎は魑魅魍魎の地でした。朝廷と幕府の間に戦雲が漂い、各藩は軍隊の西洋化を競って銃などの武器や汽船の調達に躍起になっていました。そのため、長崎には英国やフランスなどさまざまな武器商人や外交官などが跋扈し、幕府、朝廷、各藩の役人も入り乱れて情報収集していたのです。ですから、夜ごと丸山遊郭は大変な賑わいだったようです。お金さえあれば女性との遊びは不自由しない港町ですから、当然、性病患者も多かったはずです。外国から「陰門開観」という検査を要求され、遊女の強制検診も行なわれたと言われるほどです。