救いの手を差し伸べるのはなぜ「親」であるべきなのか?
「救い手は親でなくてもいいじゃないか。教師やカウンセラーなど外部専門家でもいいのではないか?」
そんな声もあるでしょう。それでうまくいくケースもある一方で、病理が重いほどそれだけでは立ち直れないケースが現状未解決のひきこもりの多くであること。そして必ずしもどんな教師や外部専門家もそんな熱心に問題に向き合ってくれるとは限らないし、その力量があるとも限らないこと。さらに言えば、どんなに教師や専門家が熱心でも、ある程度の健康度がないとそれすら歯が立たないケースも多いことは知っておきたいものです。
利用できるリソースは可能な限り使えるだけ使えばいい、とは思うのですが、そこに親の情緒的支援があった方が、人任せでいるよりも大きな“追い風”を吹かせられるのは言うまでもありません。
現実にはさまざまな理由で親が支援者になれないケースもたしかに存在しますし、親なしでも立ち直らせる試みはなされることはありますが、本当にお子さんが心から喜ぶのは、親が自分を理解し、自分の心を受け止めてくれることであるのには間違いはありません。特に「感情不全」の病理が重い場合ほど、あくまでも親なしでの支援はセカンドベストであるべきと私は思っています。