不謹慎にもほどがある!「京都大学ボヘミアン」の泣ける笑える青春…話題ドラマ「ふてほど」と同時代
TBS系金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」が世の共感を呼んでいる。現在では明らかなコンプライアンス違反でも不思議と勢いがあった時代。そして同じ時代の若者を描写した「京都大学ボヘミアン物語」(あっぷる出版社)の不謹慎ぶりにも目を見張る。著者の藤井満氏(文中はフジー)に聞いた。
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京都大学ボヘミアンは「まじめなだけでは人間がこぢんまりしてまう」という、りょうさん(1982年入学)の発案で1984年に創設。現在もその精神は後輩に受け継がれ、今年で40周年を迎える。「京大唯一のアウトドアサークル」と名乗ってはいるが、実態は“京都一の変態サークル”と言っていい。
著者のフジー(1985年入学)は創設2年目の草創期メンバーだ。寮費300円(現在は2500円)の安さにつられて京大・吉田寮にいったんは入寮したが、夜中の十数匹のゴキブリ集団などに悩まされて自炊を決意。そんな時に出合ったのがボヘミアン(通称ボヘ)だった。フジーは、最初のイベント「大文字キャンプ」から度肝を抜かれた。
エピソード1)明け方まで飲み明かした大文字キャンプ、山伏のほら貝で飛び起きる
ボヘのオリエンテーションは京都の観光名所である大文字山の「大」のところで行われた。“たき火”を囲みながら自己紹介があり、「好きな女優は赤坂麗、渡辺良子、宮下順子(すべてロマンポルノ女優)」と熱く語るセージや、野球部のヘッドスライディングの練習だけを延々しゃべり続けたシオモトらと出会う。
「この大文字キャンプはしばらくはボヘの春の恒例行事でしたが、たき火を通報され、メンバー数人が警察に呼び出されたそうで、1995年ごろに中止になりました。有名な観光名所でのたき火が厳禁なのはわかりますが、昔はできていたのです」(フジー氏)
現在、登山口のところには「火気厳禁」という立派な看板が立っている。
エピソード2)無人島サバイバルに「みそ」を持っていくかで10時間論争
今もボヘの夏休みの恒例行事に「無人島サバイバル」がある。1985年は「隠岐・西ノ島」が舞台。最低限のカロリーを摂取するため(死なないため)米と塩の持ち込みは許されたが、サバイバルとあっておかずとなる食料は現地調達が基本だった。しかし、出発前に「みそ」を持参するかを巡ってメンバー同士が侃々諤々の論争を繰り広げた。「バナナはおやつに入るんですか?」と同じ論争だ。
「『米とみそはセットであり、日本人にとって最低限の食事』と主張するシモザキに対し、僕は『みそはぜいたく品である』と反論しました。1日目、5時間議論しても意見がまとまらず、2日目に議論はさらにヒートアップ。熱血漢のコツボは『みそ肯定派はボヘになにをもとめてるんや。ふつうのサークルとおなじことをしていては自分の殻はやぶれへんで』と口にし、みそ肯定派は『サバイバルごときで人間の殻をやぶるという考えかたそのものがおかしい!』とキレた。正直、いま思うとどうでもいい議論ですが、議論が10時間を超え3日目に入った時、それまであまり発言していなかったセージが『半分の期間はみそを認め、残り半分はみそなしで、どうや?』と折衷案を出してきた。これにメンバーたちは深くうなずきました」(フジー氏)
議論百出しても、落としどころはあった。そもそも「みそ」で10時間も議論できるのは、時間がたっぷりある学生たちの特権だ。ところが、この話には後日談が……。10時間の議論で決まったルールを九州男児のクマが完全にやぶってチョコレートを隠し持ってきたという。
ただし、メンバーは叱るどころか、「その場にいたものは彼をほめたたえ、チョコを等分に分けて食べた」という。