“ミニウルフ”浪乃花さん チャンコ屋の雇われ店長になっていた
「師匠に申し出る前に、(師匠が)相撲協会に『浪乃花』で届け出てましてね。だから、『天海地』は日の目を見ず、チャンコ屋につけました。ええ、お察しの通り、“天下一”の意味が込められてます。相撲じゃ天下を取れなかったけど、チャンコでは天下を取ってやる。そんな気概を持ってやってます」
■「年寄株は3、4億円。そんな大金、工面できるはずない」
店の広さは29坪、46席。築地市場に自ら出向いて魚を仕入れ、津軽から無農薬の野菜やリンゴを取り寄せるなど食材にこだわっている。
さて、浪乃花さんは小結まで張った実力者だ。親方として角界に残っても不思議ではなかった。
「正直、残りたいって気持ちがなかったといえばウソになります。ただ、自分が引退した97年当時、世間のバブルはすでにはじけてしまっていても、角界はまだバブルの真っ最中。年寄株は3億、4億したんです。そんな大金、当然、自分で工面できるはずもなく、カネを貸してやろうって人も現れませんでした。あと、力士はみんな年寄株を手に入れるのに必死で、空いてる株を探すのも四苦八苦って事情もありましたね。まあ、仮に部屋付き親方として残ることができたとしても、部屋には強豪力士がゴマンといて、部屋運営も順調だった。そこに割って入るのは生易しいことじゃなかったと思います」