阪神ドラ2高橋遥人 子供5人を育て上げた“脱サラ”父の教え
智太郎さんはいま、静岡で中古車屋を営む。高校卒業後、大手自動車会社の販売店に就職。営業マンを務め、30代前半で一念発起して独立した。
「上司とは何度もケンカをした。黒いカラスも上司が白と言えば白。朱に交われば赤くなるといいますが、そうなるのが嫌でした」(智太郎さん)
サラリーマン時代は月収12万~13万円程度だったが、商売は順調に成長。年間の売り上げが4億円に達したこともあるそうだ。高橋が生まれてから、40~50坪の家も建てた。
「酒は好きですけど、自己管理だけはしっかりして、借金なくここまでやってこれました。行きつけの居酒屋で知人とくだらない話をしながら、車を買ってもらうこともあります。とはいえ、今は子どもたちにお金がかかる。遥人は大学時代、寮費や食費で年間250万円ほどかかりました。子どもたちの活動をサポートするには毎月、ウン十万円は必要。商売を始めたときは60歳になったら仕事を辞めようと思っていましたが、まだ辞められそうにないですね」(智太郎さん)
そして、高橋に向けてはこう言う。