フェデラー来日は13年ぶり 日本テニス界が抱えるアマプロの壁
90年代に入って、エキシビションマッチが消えた。「サントリーカップ」がATP公式戦「サントリージャパンオープン」に変わり、日本テニス協会による“公式戦至上主義”のもとに国内プロ大会は潰され、最後はツアー大会の「セイコースーパー」まで消滅した。
しかし、アマチュアを旨とする日本の協会がプロ大会を運営することにそもそも無理がある。ビジネスができない。交渉できなければ、看板が公式戦だろうとトップ選手は同時期の北京に流れてしまう。ジョコビッチが今年の楽天オープンに初出場したが、メジャーチャンピオンがこれほど長い間、日本でプレーしなかった例はなかった。
■枠を取り払った人材登用
地味が建前の協会にはプロの演出も別世界だ。日本に最初に女子ツアー(WTA)を持ってきたのは青山音楽事務所。グンゼワールドのディレクター進藤重行はアンジェイ・ワイダの助監督で関根恵子を世に出した映画畑の出。東レPPOを30年続けた野地俊夫は東芝オーレックスジャズフェスティバルの仕掛け人……彼らはプロスポーツの楽しさ、華やかさを見せる術を知っていた。